隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

情報操作について

震災以来、特に放射能関連で、デマともデマでないともつかない情報が出回るようになっています。

インターネットで、誰でも簡単に情報発信できるようになった悪幣でしょうか。今までであれば情報拡散のチャネルはラジオかテレビか新聞と決まっていました。このため、インターネットは何の検閲もなく「抜け穴」のような感じで「生(なま)の情報」を得られる場所、というイメージが私自身にもありました(「生(なま)の情報」とは「正しい情報」とは厳密には違います)。一時期、マスコミ各社がインターネットにまだ疎かった時代、実際にそうだった時期もあったのですが、現在は違います。マスコミによる「インターネットへの情報操作」が、とうの昔に始まっております。

私自身は仮に嘘やオカルトの情報であっても、マスコミによって操作されていない素の情報であれば好感を感じますし、逆に操作されている情報には嫌悪感を抱きます。この感覚によって、私はデマ情報に対してとても免疫が高いと言えると思います。

私自身がなぜそういう感覚を持つのか、自分でもよくわからないのですが、子供のころよりコンピューターに親しんできた結果、自然と情報科学リテラシーを身につけられたころは一つの要因だと思います。
現代の若者は「ソーシャル・モバイル・ネイティブ」と言われるそうですが、私ら世代(の一部)は「インフォメーションテクノロジー・ネイティブ」だったと言えるかもしれません。

情報科学リテラシーを持っているとなぜ情報操作に免疫を持つのかと言うと、情報科学では論理学や集合理論、統計学、離散数学などで物事の絶対性について論理的に検証する訓練をするからだと思います。

たとえば、運転免許の試験で「必ず」「絶対」という句が登場する質問に対する答えは、必ずNoなんです。ご存知でしたか?逆に「必ずしも~ない」という質問に対する答えは、高い確率でYesです。こういう思考のくせがついてしまっています。

同時に、情報科学では「冗長」という概念を学びます。冗長というのは「くどい」ということなのですが、情報科学的に見ると冗長な情報というのは必要がないので、取り除こうとします。私は大学で圧縮アルゴリズムの研究をしていましたが、この「冗長」性を利用して実際にデータが圧縮できるさまを体感しています。いまでは当たり前の圧縮技術ですが、当時は圧縮技術の黎明期であり面白い研究テーマだったと思います。

このため、くどい事を疑わしいと私は感じます。聞くたびにうんざりする話より、聞くたびに新しい発見のある話のほうが、生(なま)の情報といえると思います。過去の経験上、この感覚によって外れたことはあまりないと思います。

メディアが、同じような事を連呼し始めたらそれは怪しいと、疑う気持ちを持ってください。

本来、それぞれの情報に対して自分自身で納得できる筋道をつける作業(検証)も必要なのですが、上記のような「手抜き」を知っていればある程度のフィルタリングが可能です。(デマ含め)情報量の多い時代ですので、ある程度フィルタリングしていかないと間に合わなくなってきていると感じます。

ステレオタイプの情報、「原発は危ない」「ホメオパシーは効果がない」といったものも怪しい目で見る必要があります。

正確には「ホメオパシーは効果がない」が間違いなのではなく、「ホメオパシーは効果がないと結論付けようとする試み」が間違っているのですが、興味のある方は研究してみてください。「原発は必ず危ない」も「原発は絶対安全」も両方間違いです。

困るのは、こういう不可能命題を証明しようと試みる人は、その命題が証明される前提で考えているので、自分自身で反証を全く行っていただけない事です。普通は、命題を提起する側が自分でも反証を行って「どう?」となるのですが、命題だけ勝手に提起して、「お前が反証できないのだから俺は正しい」とか言われても困りますよね。

もちろん、私は「ホメオパシーは怪しい」とも思っています。「効く可能性を否定できない」と思っているだけです。なんでそんなことでいちいち議論せにゃならんのかと思います。

自分の命題の反証を人にやらせることを「議論」とか思っている人はたちが悪いですので、反省してください。宿題を人にやらせるようなものです。自分の命題は証明も反証も自分でやってください。そしてブログなりなんなりで発表してください。論理的に無謬なら人にうかがいを立てる必要はありません。

いずれにせよ、一般の方は面倒なのでこういう情報は目に入れないのが一番です。