隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】EBM(根拠に基づいた医療)は日本医学会にとって黒船である

以前も少し取り上げたのですが、最近とあるブログを読む機会があり、ちょっと理解が深まりましたので、EBM(Evidence Based medicine)について書きたいと思います。

EBMを私は以前「実証医学」と、とある本の訳をそのまま引用していたのですが、この訳だと少し誤解がありそうなので、あえて分かりやすく「証拠に基づいた医療」と直訳しております。

で、字義どおりなのですが、EBMとは証拠に基づいた医療のことをさします。
・・・。そのまんまですよね。

そして、これは統合医療というものと、ベクトルはまったく同じと考えていただいて差し支えありません。
標準医療・代替医療という言葉は、とりあえず忘れておいてください。

これがどういうことなのかを理解するには、背景の理解が必要です。
ものすごく端的に、誤解を恐れずに言ってしまいすと、今までの医療は「何の証拠もなく」行われてきたということです。

どういうことかというと、いままでは「影響力のある人の発言」によって医療が左右されてきたのです。
正しい・正しくないは関係なく「影響力のある人」が言ったら、それが正しいこととされてきました。

で、EBMというのは、つまり革命なのです。
影響力のある人の発言、というものが、EBMにおいても一応「Evidnce(証拠)」とされています。
しかし、それは「ヒエラルキー」と呼ばれる、EBMの階層においては最低位のものとされます。
つまり、今まで一番上だった「影響力のある人」が、最低位に陥落すると言うことを、EBMは標榜しております。

そして、EBMにおいて最高位とされているEvidence(証拠)は「臨床例」です。
誤解しないでください。論文でも博士号でもありません。「臨床例」が最高のEvidenceなのです。
そこには権威もクソもありません。EBMが徹底された社会では「○○医学の権威」なんてものはなくなります。
あるのは常に「Evidence(証拠)」。言いたいことがあればEvidenceを持って来い、というのがEBMです。

医師には大別して実際には患者を治療しない「医学者」(研究とかをしている)と実際に患者の治療に携わっている「臨床医」の2種類があります。
ヒエラルキーの逆転により、臨床医の方が医学者よりえらい、ということになるわけではありませんが、こと医療に関しては実際に人を診た実績というものがものをいうのが現実です。

EBMの徹底は、日の目を見ない臨床医が主役となる時代の到来を意味します。同時に、看護師や理学療法士など、現場で実際に患者を診ている人の意見こそが重要なものとなってゆくでしょう。

そして、それは現在「代替医療」という差別用語でくくられている「治療家」にも、脚光をあてる結果となることは疑いの余地がありません。

そもそも、「代替医療」「標準医療」なんて用語を作ったのも、EBMにおいてヒエラルキーの頂点から最低位に貶められるべき人だったわけで、EBMで代替医療の相対的地位が低まると言うのは、少し思慮が足りないように思います。

最終的には「代替」も「標準」もない、ただの「医療」が残るのが「統合医療」の終着点であり、その意味でEBMは同じ方向性を指すものであると考えています。

「標準医療」の「標準」には何の「Evidence(証拠)」があるのでしょうか?