隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】現在のだいぶつの見解まとめ

知らぬ間に「反標準医療」のレッテルを貼られていたりするのも嫌なので、現時点の私の「医療」に対する見解を簡単にまとめたいと思います。
  • 標準医療反対ではない。
  • 代替医療反対ではない。
  • すべての医療は等しく貴いものであると思う。
  • 代替医療を「オカルト」等の理由で「根拠なく」忌避するのはおかしいと思う。
  • 同じく標準医療を「テレビでやっていたから」等の理由で「根拠なく」支持するのもおかしいと思う。
  • 決して脊髄反射的な「反標準医療」ではないし「代替医療推進」でもない。
  • 同じく脊髄反射的な「標準医療信奉者」ではないし「代替医療反対」でもない。
  • 疾病の治療に効果のあることなら、何をやってもよいと思っている。
  • 効果のあること、ないしは効果のある可能性のあることをやる場合、害の少ないものから行うのが正しいと考えている。
  • 害のない「治療法」であれば効果がなくても別に問題はないと考えている。ここでいう「害」とは、経済的な被害は除く。
  • 仮に効果がなくても「こういう治療行為を行った」という自己満足は絶対に得られる。この自己満足は病気の治療にプラスには働いてもマイナスに働くことはないと思っている。
  • 効果的な治療法であれば、国に認められている・いないは関係ないと思う。
  • 同じく、国に認められているから効果的な治療法であるとは思わない。もちろん、国に認められていないから効果的な治療法と思うわけでもない。
  • 可能な限り、患者自身が効果のあるなしを判断するべきだと思う。自分の命なのだから、人任せが一番良くない。
  • 「医療利権」の上にあぐらをかき、患者を診もせずエラソーにして適当なデマを垂れ流す厚労省官僚や医師会の重鎮にははやいところ隠居してほしいと思っている。
  • 医療と経済原理は根本的なところで相反するものなので、ここを解決する抜本的なシステムが出来ればよいなと思う。
たまに「気」とか言いますが、「気」にしないでください。「気」の概念を理解しようがしまいが、病「気」はすべて「気」で治っています。病「気」が治るシステムのことを「気」と呼んでるだけなので、病「気」が「気」で治るのは当たり前です。免疫とかその一部という定義です。
病「気」が「気」でひとりでに治っても患者はなんら困りません。医療で権威を保ちそれで食べている人は困るでしょう。

また変更があれば更新します。