隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

【統合医療】自分自身の感覚を信じる

私が統合医療の核をなすと考えている哲学に、自分自身の感覚を信じると言うことがあります。

端的に言ってしまうと、自分自身が好きなものは好き、嫌なものは嫌。それを貫くことが重要だと言うことです。

少なくとも、自分自身にそういう知覚力が備わっているのだと言うことを認識することが必要です。

カツ丼の味の良しあしのように、単純に数値化できないものに対してはあまり云々されることはないのですが、中途半端に数値化できてしまうモノの場合、自分の感覚を信じていいのか、数値を信じていいのかという葛藤が生じやすいのです。

たとえば「暑い」と言うことについて考えてみます。

温度計を見ると低い温度なのに暑く感じることがあります。だから「温度計が高い温度を刺しているから暑い」と言うのは間違いで「自分が暑いから暑い」というのが正解です。温度と湿度を組み合わせて算出する不快指数なるものもありますが、あくまで目安に過ぎません。温度と湿度以外にも、体調や体表面の汚れやアカ、感染症に感染しているなど様々なファクターがありますので、数値によって「暑い」と言うことを判断することは実は不可能です。

あなたが「暑い」と感じるかどうかはあなたの感覚にかかっていると言うことです。

これは当たり前のようではありますが、現代人の多くは数字のマジックにかかっており、たとえば「血圧が高いから塩分を控えないと」とか「コレステロールが高いから卵を控えないと」と言った間の抜けたことを平気で言ってのけてしまいます。

感覚さえ研ぎ澄まされていれば、必要でない食品はひとりでに食べたくなくなるものですし、おう吐や下痢などで速やかに排出されるものです。数値に覆い隠され、自分の感覚を信じられなくなるから食べてはいけないものを食べても気づかなくなってしまうだけの話です。これを数値から割り出すには、コンピューターの性能が今の1000兆倍になっても難しいでしょう。

以前取り上げた入江フィンガーテストと言うのはそういう自分自身の隠れた感覚を引き出すためのメソッドの一つにすぎません。本来、人間はさわっただけでその卵が腐っているかどうかくらいは分かる程度の感覚を備えているものです。

私は、どこかのWebページで、最近ゲリラ雷雨のようなものが多いので外出時は天気情報に気を配りましょうとあったのを見て鼻で笑ってしまいました。大阪で雷に打たれ死傷者が出たためのようですが、そのずいぶん前に雷雨の気配を感じて家の窓を全閉にしていたからです(ご存じ?の通り私は天気予報は見ません)。

普通の感覚さえあれば、雷雨が来ることくらいは感じ取れてしかるべきなのです。そもそも、ゲリラ雷雨はどこで起きるかわかりませんから天気予報を見ても無意味です。

私は、最近ゲリラ雷雨が起きていることよりも、その予兆すら感じ取れない人が増えていることの方に危惧を感じます。昔なら「雷雨が来そうになったら、お家に帰りましょう」だったのですが、今の人は「どうやったら雷雨が来そうってわかるの?」ってなってしまうのでしょうか。

さて。標準医療の究極の細分化、究極の数値化で救われる人々は増えていくのでしょうか。
もしそうなのであれば、それに越したことはありませんが、病人を救う一方で数値に振り回され病気になる人を増やしてはいないでしょうか。

邁進するにも方向が正しくなければ、戻ってやり直すしかなくなります。