隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

働けない人は、ダメだから働けないのか?

似たような議論はすでにたくさんされていると思いますが、私自身も最近そのような思いが強くなってきたので書いてみたいと思います。

まず「働く」と言うことの定義。うちの母はよく「端を楽にするから『端楽』=『働く』」と言っていました。

うまいこと言ったつもりか!と突っ込みたい気持ちはありますが、実際、その通りだと思います。

この前、話題になっていた記事にも「半径5mを動かせるかどうかで、その人の価値は決まる」と書かれていました。

逆に言えば「端に苦労をまき散らすのは、働いているとは言い難い」と言うことになりましょう。

たとえば、某会社のIT本部。やたらめったらセキュリティだのなんだのと仕事の邪魔になることしかしません。これは「働いている」と言えるのでしょうか。

うちの母にしてもそうですが、本当に「端を楽にする」という考え方でやっている人は、お金に頓着していません。

そうすると、その上前をはねてやろう、いわゆる「ピンハネ」をしてやろうと言う輩が跋扈するようになってしまいます。

本来、その人の労働価値はその人に還元されるべきなのに、その何%とか酷い時には何10%もの上前をはねて、人を右から左に流すだけでお金を得ようとする人が現れます。

それが派遣会社の様な分かりやすい形をとることもありますが、最近のIT企業とかはだいたいこのような業態になっています。IT専門の人材派遣業。

それで、日本のプログラマーの平均年収は米国のプログラマーに比べ半分しかないと言う、悲惨な現実があります。

結果、プログラマーを志す人が減り、もっと楽して儲けられる仕事を目指すことになります。

LinkedInをしていたりすると、そういうコンサルタントを名乗るような人がコンタクトしてきてうざかったりします。

技術の事を何も知らないくせに「技術コンサルタント」を名乗って、人を横流ししようと言う発想しかない。

これは「働いている」と言えるんでしょうか。

正直な人は、多分働くとはどういうことだろうか?働くにはどうしたらいいんだろうか?そう悩んでいるはずです。

動いた結果端が苦労するくらいなら、何もしない方がマシと思う結果に至るわけです。

だから、今自分が「働いていない」って思っている人は、ひょっとしたら「働いている」と思っている人より立派な魂をもっているのかもしれません。

私の考えでは、本当に「働いている」=「端を楽にしている」人は、自分が「働いている」などと思って動いてはいないでしょう。