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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

おんまはみんな

おんまはみんな
ぱっぱかはしる
ぱっぱかはしる
ぱっぱかはしる

おんまはみんな
ぱっぱかはしる
どうしてはしる

どうしてなのか
だれもしらない

だけど
おんまはみんな
ぱっぱかはしる
おもしろいね
子供がちょっと前にリトミックとかでよく聞いていた「おんまはみんな」です。私はこの歌詞の奥深さに思わず感動してしまいました。

おんま(馬)がどうして走るのか、誰も知らない、だけど、馬は走る、そしてそれは面白い。

と言うことです。原典を見ると「アメリカ民謡」とありますので、どうもネイティブアメリカン(インディアン)の民用のようです。

2番は「こぶたのしっぽ ちょんぼりちょろり」なんですけど、これがさらに面白いです。

やっぱり、理由はわからない。でも面白い。

これは何に対してでも言えるんです。たとえば、心臓がなんで動いているのか、っていうことも同じなんです。

天風哲学とかではそこに「意思」の存在を肯定するのですけど、知らなくても、心臓は動いているわけです。その理由が解明されたことはありません。

現代の医学では、心臓を止めたり動かしたりはある程度できても、心臓がなぜ動くのかは分かりません。このため、継続的に心臓を動かし続けることができません。それは、心臓の持ち主の「意思」があったればこそなんです。心臓の筋肉はひとりでに動いています。「おんまはみんな」風に言えば、どくどく動く。どうしてなのか、誰も知らない。と言ったところです。

ま、そんなのんきな事を言っているから獰猛な白人に絶滅させられるんだぜとか言いたくなる気はしますが、そういうのんきなところに憧れると言うことも事実です。

何でもかんでも論理的に、理屈を後付けでも作ってやっていくのが、「正しそう」に見えることもあるかもしれませんが、本当に正しいかどうか、それは意思のみが決めることなのではないでしょうか。

理屈がつけば正しいと言う、それこそ思い込みではないでしょうか。

理屈が無いことでも正しいことは、正しいのです。それをこの歌はいっているように見えます。