民事訴訟を経験して、結果的には敗訴的和解と相成りました。
扱っている内容が低周波音による被害と言うマイナーなものだったことが大きいのですが、加害者(建設会社)の不法行為(説明義務違反)を明確に立証することができませんでした。
計量証明の取れるデータを提出したり、ありとあらゆる工学的・医学的可能性について意見書を提出するなどすればあるいは勝てた可能性もあるのですが、費用対効果の面で非経済的であったことは間違いありません。
一般論として、日本の民事裁判は訴える側(原告)、つまり被害者側に対して苛酷なまでに不利です。
私の主張は、住宅という高額な物件を売ると言う事を生業にしている以上、このような健康被害を生じる可能性があると言う事は説明しておいてしかるべきだと言う主張だったのですが、裁判所がこのような主張を理解してくれることは(心情的にはあっても)法理としてはありえないのです。
3000万円の住宅も、100円のチロルチョコも、同じ売買に過ぎないと言う立場です。
つまり、民事事件と言うのは裁判所から見れば「契約にまつわるイザコザ」に過ぎない、というのが司法のスタンスです。家もチロルチョコも全く同じ扱いになるわけです。
株式会社ともなれば一種社会の公器であり、公共の福祉に利する必要があると言うのが健全な考え方だと思いますし、宅地建物取扱業法には宅建主任者及び宅建業者は、環境等に配慮して土地家屋の売買をしなければならないと言う規定があります。
第一、生身の「人」である私や家族は健康被害を生じ得ますが、法人に過ぎない相手会社は健康被害を生じることなどあり得ません。それでも、法律で決まっていると言う理由で、同列の争いを強いられると言うこと自体がまず理不尽です。
私としても、勝ち目が薄いことは分かっていながらも、審判が進めば相手会社にも良心というものがあろうから、何らかのカタはつけてくれるものという期待がありました。
しかし結局、何らの好意的な申し出もなく、自社には一切非はないと主張を繰り返すだけでなく、当方の病歴を陳述させるなど人権に配慮しない悪意的な戦術を繰り返されるばかりで、良心がないことをことさらに確認させられたにすぎませんでした。
こういう、建設会社が司法の抜け穴を堂々と利用して、人道にもとる行為をしていることを日本の裁判所はほぼ野放しにしているのですから、業者がつけあがるのは道理だと思います。
控訴までする気は最初からなかったのですが、結局精神的にも追い詰められるし、いいことはありませんでした。訴訟はビジネスと割り切り、黒字になる見込みのない訴訟はしないと言うのがベストなのでしょう。
逆に、国家による司法の独占という制度がなければ民事的仲裁(ADR)がもっと発展し、愛も情も分かる、皆に納得感のある「裁き」が増えるのかもしれません。