隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

女性の社会進出は失敗だった

子育ては本当に大変です。

私など時たま手伝うくらいに過ぎないのですが、2歳の息子の世話を焼くのは本当に骨の折れる仕事です。

これを24時間365日無休・無給でやってくれている妻には本当に頭が上がりません。

女性の社会進出として男女雇用機会均等法などといった政策が過去取られてきたわけですが、これは失敗だったのではないかと最近思います。

と言うのは、俯瞰してみればこの「育児」という日本の将来に直結する、大げさでなく「社会の基盤を創る」という極めて重要な労働の大部分を他人に転嫁して「社会進出」などと言うのは、片腹痛いのではないかと思うのです。

その結果として、保育園は「社会進出」を果たした母親の子供で満たされ、それでもまったく足りず、専業主婦がたまに預けようと思っても預かってくれるのは認可外保育園しかありません。

結局、子供を保育園に預けるために仕事をやめられないと言うジレンマが続くことになります。そして、子供を保育園に預けるために職場にしがみつく女性のために、若者の雇用が阻害されていると言うことも事実だと思います。

職に就けない若者は、子供を設けることをあきらめざるを得ません。

卵子が老化した女性が子供を設けて保育園に預ける権利を担保するために、若くてピチピチの卵子をもっている若者が子供を設ける機会が喪失させられてしまっています。

また、子供を産んだら会社を辞めなければならないという小さな会社では、そもそも子供を設けることができないと言うこともあります。

つまり「女性の社会進出」は結局のところ「少子化バイアス」として働くわけですから、「女性の社会進出」を撤回しない限り抜本的には「少子化対策」になりません。

また、保育園による育児の肩代わりにも良し悪しな面があるでしょう。関係者の方が大変努力しておられるのは私自身見て知ってはいますが、古来の「母親による育児」「地域による育児」にとって代わるには役不足な感は否めません。

特に、私の友人にもいますが母親の愛情が不足気味の人ほど子供を設けたがらないと言う傾向があります。

自己肯定感が弱いのが原因でしょうが、それはやはり自我の確立にあたって十分な母親の愛情を与えて初めて生じるものではないかと思うのです。

結果、やはり少子化バイアスが高まると言う悪循環となります。

率直に言うと、私自身は会社で仕事をしているより子供の面倒を見る方がずっと大変です。

うがった仕方をするならば、この「育児」と言う重大な労働から解放されたいがために「女性の社会進出」などと言った口実が生み出されたのではないかと、言えなくもないかもしれません。

幸いなのは、わが息子は十分な愛情を与えられ育っていると言う、その事実だけです。