隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

iPad miniは出ない

GoogleのNexus 7の発売や次世代Kindle Fireのうわさが出てくる中、タブレットユーザーの注目は断然7インチサイズのiPad「iPad mini」(仮称)に集まっています。

しかし、個人的な予想ではAppleからはこの商品は出ないと思います。

iPhoneにせよiPadにせよ、Appleのウリは「この世に無い商品やサービス」を産み出すところにあると言われていますが、個人的な評価としては、ユーザーインタフェースの面で革新的な役割を同社は果たしたと思っていますが、コンピューター世界全体に対して与えた影響と言う意味では限定的なものにすぎません。

そもそも、コンピューター世界という完全にアンコントローラブルなものを、完全にコントロールして発展させられる存在がいたらそれは「神」以外にいないでしょう。つまり、Appleにとっても、もちろんGoogleやMicrosoftにとってもこの世界は完全にコントロールはできないのです。

一時期、Microsoftがこの世界を完全なコントロール下に収めたかに見えましたが、実際のところはスマートフォン・タブレットと言ったテクノロジーの発展により、Microsoftも予想できない勢いで「斜め上」にこの世界は発展していってしまいました。

そして、AppleはMicrosoft同様「囲い込み」という手法によって、不確定に伸長・発展するコンピューター世界をある程度限定的にコントロールし、自社のシェアをありえないまでに拡大することに成功しました。

では、このままAppleのシェアは100%になるのでしょうか?私は、Microsoftがそうでなかったのと同様、そんなことはあり得ないと思います。

Appleの提供するクラウドソリューションは、現時点ではシェアの多さに覆い隠されていて明らかではありませんが、実際にはオープンなクラウドテクノロジーとの相性がそれほど良いものではありません。実際、昔はGmailが標準で使いよかったiPadが、iCloudが標準になって使いにくくなったりと言ったことが起こっていますし、評判だけはとてもよいSiriはGoogleのテクノロジーに比べると児戯に等しいものです。

大昔、ウィンドウOSとして一世を風靡したMacintoshでしたが、そのクローズドなシステムがオープンプラットフォームからは敬遠され、結局皆Microsoftを選択してWindows OSが繁栄したという歴史がありましたが、Appleが今のままの路線で行くならば同じ歴史が繰り返されるでしょう(Microsoftがふたたび繁栄するとは限りませんが)。

なぜなら、たとえアプリがプラットフォーム依存からクラウドに変わったとしても、それを開発するのは人間であり、その哲学に共感できない人間はそのプラットフォームで開発をしようとは思わないものだからです。ビジネスパーソンは損得勘定だけで動きますが、プログラマーはそうでもないところがあります。

Appleが、GoogleやAmazonを「模倣」してiPad miniを出すと言うことは、同社にとってはつまりポリシーの変更であり、敗北です。GoogleやAmazonと同じようなハードウェア上でiOSを動かすことは、なんの革新でもありません。ではiPad mini上で革新的なサービスを提供できるのか?iPad mini限定のコンテンツを出すのか?正直、そのような事をするメリットは私にはまったく考えつきません。

仮に出たとしても、その時点でAppleはJobsの手を完全に離れた「Appleという名前の別の会社」となると言うことを意味するでしょう。

いずれにせよ、Appleが大きな選択を迫られていることには違いありませんし、この選択を誤ると築き上げた現在の地位も危うくなると言うことに間違いはないでしょう。革新的な製品やサービスを生み出し続けない限り、いずれはAppleと言う会社は存在意義を問われることになるのですから。