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隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

高い自意識はコンプレックスの裏返し

たまに、ジャイアンみたいな人がいる。

「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」

と言うヤツだ。
意外と、大企業のエラいさんとかにそういう人が多い気がする。
あるいは、単に年代的なもの?(50代くらい)

俺たちロストジェネレーションは、「公平」教育を受けた。
小学校で、それまでは男=技術、女=家庭科 と決まっていたのを、男も女も技術・家庭を両方やる、と言う風になった多分最初の年代だ。

反戦・平和教育、半差別教育も十二分に受けて育った。
(ひねくれていたのでこの辺は染まりきらず)

なので、一回り上くらいのそういう「オレ様」世代にちょっとついていけないときがある。
私の某上司で、開発部長のセリフ。

「当部の開発成果は全てオレに帰属する」

いやいや、ちょっとまって。
開発成果は会社のものでしょう。
オレのものでも、あなたのものでもない。
私だって、会社で書いたコードの著作権は会社に帰属するなんてことはわかっている。

あなたは単なる雇われサラリーマン管理職だよ。
何のリスクも負っていない。
したがって、会社の成果物に対して、アンタに何の権利も発生しない。
もし、株を持っているなら、「配当」と言う形で還元を得ることはできる。それは、株が下がったときにお金を損すると言うリスクを負っているからだ。

リスクアンドリターンと言うヤツだ。

会社からの報酬が(他のサラリーマンと比べ)多いから、なんだか勘違いしてしまうようだ。
多いと言っても、事業を興して儲けている人間の比にならないだろうし、給料が多いのは「人事の評価が高い」からであって、「よく貢献した」からではない。

ここ最近のネット論壇でもしばしば話題になる「人事評価」だけど、まあなんだかんだ言って旧態依然とした年功序列賃金がベースになっていて、歳食っていてそれなりの職歴があればまあそこそこの給料はもらえることが多い。

若い人はどんなに仕事が出来ても給料は少ない。

残念ながら、給料が多いのは(そうじゃないケースもあるだろうけど)多くの場合、本人の努力以外の部分が大きい。
また、その「本人の努力」も、会社の事業に寄与すると言う意味での努力が純粋に評価されるケースはほとんどない。
なんか資格を持っていたり、事業に寄与しないでも人事の評価を得る方法はある。

昔から、私は「受験勉強なんかしたら負け」と思っていた。
今でも、それが間違いだったとは思っていない。
自分がしたいことだけをする、それで十分。社会的評価なんて後からついてくる。

と思っていたが、全く社会的評価がついてこないので、最近は「社会的評価なんてどーでもいい」と開き直っているけど。

まあ、早く10年位して、50台以上の老害世代が排除されるといいですな。