隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

給食費未納問題

いまさらながら給食費未納問題です。「小さな政府を語ろう」において、以下のように取り上げられていたのを読みました。

今更ながら給食費未納問題そして日本人の倫理感の低下について
給食費未納問題はよく「モンスターペアレンツ」問題とからめられて、非常識な親・倫理観の欠如と言った文脈で語られがちです。

しかし、これの原因がモラルハザードによるものでない事は実は明らかです。以前は給食費は「給食費袋」に入れて子供が学校に持って行くシステムでしたが、給食費袋が廃止され口座振替式になってから未納率が急増したと言うデータがあるからです。

もともと、払わないで済むものなら払いたくなかったものを、払わなくとも自分の子供が特定されていじめられる心配がなくなったから払わない人が増えた、という見方のほうが正確ではないでしょうか?

給食費を払いたくないという意思を持つことがモラルがないのだとすると、モラルが下がったわけではなく元からモラルは低かったと言うことになります。

しかし、私はこの問題はモラルハザードの視点から語るよりも、費用対効果の視点から語った方が因果関係が明瞭になると思います。

給食費を払うことに対する対価が、明確でないから支払わない人が多いのです。

まったく同様の文脈で、年金を払うことに対する対価が明確でないから、NHK受信料を払うことに対する対価が明確でないから、もっというと税金を払うことに対する対価が明確でないから、これらを払いたくないのです。

年金など、今や強制的に強奪されているサラリーマン以外はほとんど払っていないと言っても過言ではありません。税金も、タックスヘイブンを利用するなど合法的に払わない事が推奨とは言われないまでも、当たり前のように行われるようになっているのはご存じの通りです。

とにかく、払ったことに対する効果が明らかになっていないものに対して、誰でもお金は払いたくないわけです。これを「モラルが低い」とは私は思いません。「払うのが当たり前なんだから払え」と言うのは強盗の論理で、それに従うのは奴隷根性です。

だから、税金を払わない人でも寄付や募金をします。それらは払った人に自己満足という対価を与えるからです。

人は、対価が明確なものにはお金を払います。年金生活の人でも、月1万円もするような通信費を携帯電話キャリアに払っています。これは「電話やネットサービスを享受できる」という明確な対価を得られるからです。

税金も年金もNHK受信料も、かつては払ったことに対する対価を払った人が得られる時代があったのです。だからこそ、払っている人が多数派でした。ところが、長年払ってもらっているうちに、「支払っていただいている」から「払って当たり前」、「払わないと犯罪」と言った意識の変化が、受け取り手の側に生じてきたのではないでしょうか?

だから、対価を提供する努力をせず、当たり前に支払われることに慣れてしまったのではないかと思います。
官僚にしてもそうでしょうし、生活保護受給者とかもそうでしょう。払う側と払われる側の、意識の乖離です。

対価を得られる物に対してしかお金を払いたくない。これは当然の心理ではないでしょうか?
給食費は給食を食べられる対価ではないのです。なぜなら、給食費を払わなくても子供が給食を食べさせられない事はないからです。また、子供に給食を食べさせてほしいという、保護者の明確な意思表示があったわけでもないでしょう。

さらにいうと、そこまでこだわって、給食サービスを維持する必要があるのでしょうか?弁当制にするなど、対策は何とでも考えられます。「給食費未納問題」なんて物々しいタイトルをつけるようなことでしょうか。一つの債務不履行に過ぎないのではないでしょうか?

破産すれば借金などチャラになると言うのは、今や常識です。「借りたものは絶対返す」が成立していたのは、右肩上がりの経済成長ありきの話だったのではないでしょうか。

右肩下がりの経済で「借りたものは絶対返す」などと言うことは、そもそも不可能です。だから、いくら日銀が国債を引き受けても、銀行は民間に融資できないのです。

このように大問題のように騒ぎ立てる裏には、何らかの利権がからんでいるのではないかと邪推したくなるものです。

NHKの受信料とか、給食費とか、普通に考えると「税金でやればいいやん」と思うような事なのに、なぜか税金でやっていない場合、その裏には「受け取ったお金に対する対価を十分与えられていない事に対する後ろめたさ」が見え隠れします。