さて、ある事件のマスコミによる「有罪決めつけ報道」が批判されています。
中には警察からマスコミに情報が(意図的に)漏らされて、マスコミが捜査に協力(証拠捏造に協力?)したような情報もありあまり穏やかではありません。
もっとも、以前であればマスコミの報道を鵜呑みにしていた世の中の人たちが、一部ながらもそれに対して批判的な意見が表面にあらわれるようになったことは日本人として進歩と言っていいのではないかと思います。
しかしながら、この文脈に違和感を感じている人の中にも微妙なミスリードをしている人が含まれていて、少し苦々しい思いもしています。
たとえば、容疑者擁護派の人の中にも、もしこの人が無実だったらどうするのだ!という意見を発している人がいます。
この意見は少しズレていて、実はこの人が無実だろうが無実でなかろうが、刑が確定するまでは大々的に報道をしてはなりません。
というのは、容疑者は現段階では「推定無罪」=「無罪」だからです。
「推定無罪」というのは、なにか「無罪」と違う事のようにとらえている人もいるようですが、「無罪」と同じことと考えて差し支えありません。
たとえば、私が「推定」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるのは、民法の嫡出子推定の条文です。結婚している夫婦の妻から産まれた子供は、その夫の子供であると推定される、という風に書いてあります。
平たく言えば法律上の「推定」というのは、事実関係を確認するまでもなく、当然にそのように考えられるべきという意味であって、「無罪と推定される」というのはつまり「無罪」のことなのです。
そして、無罪=無実の人間を犯人のように報道することは、当然ながら名誉棄損罪を構成します。名誉棄損罪は公に知らしめた事実が、本当であろうとウソであろうと成立します。
たとえば、だいぶつがヘンタイだ、という情報をマスコミが広めたとします。その場合、仮にだいぶつが本当にヘンタイであってもマスコミの名誉棄損罪は成立します。
だから、犯罪を犯した人間であっても犯罪者として顔写真を堂々と報道するのは当然に名誉棄損罪を構成すると考えるべきです。節度あるマスコミであれば当然それをわきまえていなければなりません。
しかし困ったことに、マスコミは「公共の福祉」の名のもとにこれを是とする立場をとっています。
つまり、たとえば幼女連続誘拐犯がいたとします。その人が捕まった場合、刑期を終えて出てきたら、幼女の保護者はその人の近くに住みたくないでしょうと、そういう話をしているわけです。
さらに困ったことは、おそらくマスコミもこれが「いけないこと」と分かっていながら、やっていると言うことです。
やっている理由には、二つ考えられます。
ひとつには、経済的な理由です。つまり、視聴率や部数を稼ぎたいので、イリーガルなことでもしてやろうと言う面です。
もうひとつには、警察の圧力です。今回の事件は、主に国民にはほとんど被害がなく、「警察のメンツが潰された」(誤認逮捕された人が被害を受けたのは間抜けな警察のせいであり、真犯人のせいではない)ということが警察の強い捜査の動機でしょう。
いずれにしても、公共の福祉には程遠い内容と言わざるを得ません。
しかし、これら動機が不適切ないしイリーガルなものであるからこそ、それを正当化するため今回の容疑者こそ真犯人でなければ困る、だから報道も過熱すると言う事はあるでしょう。
全く持って、日本の警察およびマスコミはWinny冤罪事件から何も学んでいないと言わざるを得ないようです。
マスコミは、しょうもない捏造報道をしている暇があればWinnyで犯人に仕立て上げられた金子氏の名誉を少しでも回復するような報道をすべきではないでしょうか。