Googleの参入で開発に一基に拍車がかかった自動運転車。しかし、なぜか否定的な人が少なくありません。
ちなみに、アメリカではすでに何州かで自動運転車が走っています。技術的に安全な水準と、州も認めたからです。
安全というのは絶対に死者が出ないという意味ではありません。今でも、工場等の自動機で人が亡くなる事故は皆無ではありません。自動運転車で交通事故死者がゼロになるということは、たぶんないでしょう。
では何が違うのかというと、事故率を劇的に減らせるというのです。コンピューターはわき見をしません。酒酔い運転もしません。運転というのは単純な判断の積み重ねです。こういうことは実はコンピューターの得意範囲です。
チェスでは、すでに人間がコンピューターに勝つことは不可能になっています。将棋も、もうそろそろ同じ領域に到達しそうです。これらのゲームは「相手のミスに付け込んで勝つ」のが原則です。よりミスしない人が強いのです。では全くミスしない存在がいたら?それに人間は決して勝てないという道理です。
将棋で、コンピューターは人間に勝ちそうです。これを認めたがらない人がたくさんいると思います。でも、それは恥じることではないのです。コンピュータープログラムを作ったのは人間です。将棋というゲームの本質に、大勢の人間でより近付いた、そういう風にとらえればいいのです。
飛行機や宇宙船、船舶などでもほとんど自動運転が取り入れられています。なぜか。人が運転するより安全だからです。構造的な不良で事故を起こすのは人が運転してもコンピューターが運転しても同じです。
なれば、自動車も人が運転するよりコンピューターが運転する方が、安全というのが道理となります。コンピューター自体の性能や、プログラム・アルゴリズムは人間の能力よりもものすごい速さで指数関数的に進化しています。当然、数年後には人間が運転するのはナンセンスということになるでしょう。
これは、車の運転が趣味という人にとっては悲報かもしれませんが、交通事故で身内を亡くした人にとっては朗報のはずです。
これを人類の進歩という風に、とらえられる人が多数派にならない限り、交通事故死者はいなくはならないでしょう。