隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

じゃあ何ができるのか?

貧富の差をなくすために何ができるのか?
私は何もできないと思います。
生き残るもののために、死ぬものは死ぬべきなのです。
それが私の普段から考えていることです。
そもそも、ちっぽけな自分です。会社のシステムひとつ変えられない。いつも上司や会社のシステムを批判するだけ、給料が安いと文句を言うだけ。そんなつまらない生き物が「グローバルレベルでの問題」である「貧富の差をなくすることができる」なんて、自意識過剰もはなはだしい限りなのです。
「できないことでも思うだけでも立派ではないか」とおっしゃる方もいるかもしれません。ですが、そんなものは詭弁です。
「俺はオリンピックに出て金メダルを取る」と、普段からトレーニングもしていない人間が言っても、ただの妄想癖でしかないのと同じことです。できもしないことは思わないことです。
貧困をなくすなどと考える前に、食べ物を残さないようにしなさい。
日本人は世界一食べ物を捨てているのだそうです。私は「出されたものは残さない」主義で、体調がよほど悪くない限り食べ物を残したことがありません。日本人が誰も食べ物を残さなくなったら、あまった食料を途上国に送ればよい。
タバコもやめなさい。
タバコは二酸化炭素や酸化窒素による環境負荷を与えるだけではなく、その生産過程で途上国の森林を破壊し、地球規模の森林資源を浪費させ、結果先進国と途上国の経済格差の拡大につながっています。
車もなるべく乗らない。
私は「これをすれば貧困がなくなる」などとは思っていません。ですが、「地球の片隅で食べ物がなく死んでいく人がいる一方、食べ物を捨てている人がいる」。こんなおかしなことはない。それどころか、タバコやら車やら別に生存上必要でもないものにコストをかけ、それがさらに貧者を圧迫しているのです。
貧富の差があって、貧しいほうが死ぬ。それはしょうがないと思う。他の記事で述べた「酷寒に毛布1枚」の話じゃないけど、毛布が1枚しかないならしょうがない。もう一人に死んでもらう。そういう考え方もあると思う。2枚ある毛布を2重にしてくるまっているのならまだいい。<b>2枚しかない毛布の1枚を、燃やしている人がいる一方で、寒さで死んでいく人がいる。</b>これがおかしいといっているのです。
募金をする人を私は偽善者といいました。
それは、<b>募金をすることによって自らの行為の残酷さから目をそむけているから</b>なのです。
世界の貧困な人は、勝手に貧困になって勝手に死んでいるから、豊かなあなたが「救ってあげる」というのが偽善なのです。傲慢なのです。
<b>彼らを殺しているのは、あなただと自覚すること</b>が、この状況を改善するための第一歩なのです。
私は、これからも牛や豚を殺し食べ続けていくでしょう。
ですが、彼らの肉は決して無駄にはしません。
私にできることは、この程度です。