隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

『脱』トレーダー

知っている人は知っているのですが、わたしはかつてトレーダーを志したことがあります。
1年くらいトレード(デイトレード)に専念したのですが、結論としては、自分にはトレーダーという職業(?)は無理だと判断し、足を洗うことにしました。運良く、サラリーマンに戻ることができましたので、現在はしがなくサラリーマンをやっています。
これも知っている人は知っているのですが、Webでは割と有名なトレーダーの方に師事し、トレーディングノウハウを学びました。このノウハウを実行していれば、まあ食べていくくらいの収入は得られたのですが、精神的に持たないということに思い至り、とあるプライベートなきっかけもあり、サラリーマンに舞い戻ることにしました。
平たく言えば、チキンハートだったということです。わたしの学んだトレーディング手法はあくまで確実性を追及し、リスクを避ける方法ではあったのですが、やはり市場というものを相手にしている以上リスクを完全に避けるというわけには行きません。そこを、細心の注意力をもって相場の動きを注視し、利益を追い求めるのです。
確かに、負けはしませんでしたが、サラリーマンをやっているのとそれほど大差ない収入でした。それに対して、精神的なプレッシャーは相当なものがありました。なれる必要があったのでしょう。ですが、わたしには慣れることはできませんでした。
トレーダーをやり始めたころは「一日8時間も10時間も拘束されて、上の人間にこき使われるサラリーマンなんかより、一日数時間市場を見るだけでそれ以上の儲けを得られるトレーダーのほうがらくだ」という印象を持っていたのですが、今はまったく逆です。たとえ数時間といえども胃がひっくり返るような緊張を乗り越えなければ利益さえ出ない、いや、それだけの試練を乗り越えても利益が出ないどころか、損が出る日すらある。それを耐え、コツコツと理論を実践し、勝ちを積み重ねてゆく。ひとつの勝ちはひとつの勝ちでしかなく、明日の勝ちにはまったく関係ない。まさに「日銭を稼ぐ」毎日に、わたしは耐えられませんでした。といって、無謀な丁半バクチに打って出ることもわたしにはできませんでした。
会社の仕事なら、がんばっても給料が増えることもないけど、へまをしても給料が減ることはない。多少拘束時間が長くても、そちらのほうがはるかに気が楽だということに気づきました。
これは、個性の問題でしょう。トレーダーといえば知識や計算能力などを駆使して勝つという印象がありますが、実際には、動物的な勘でトレードする、アスリート的な人が実績を残しているようです。
まさにアグレッシブに市場を波乗りのようにトレードしている人もいますし、わたしの師匠のようにコツコツと努力を積み重ねるマラソンランナーのようなタイプの人もいますが、理と知だけでは成功できる世界ではないのだということを、今では悟りました。