隠すほどの爪なら無い

自分自身の、この自我というものが消滅することへの覚悟はできた。苦しみからの開放・・・。だけど、だけどあと少しだけ、続きが見たい…!

「方便」(ほうべん)とは

仏教用語に「方便」(ほうべん)という言葉が出てきます。

多くの人は「ウソも方便」ということわざで聞いたことがあると思われる「方便」という言葉なのですが、その意味を正しく理解している人はどれくらいいるでしょうか?

どうも「ウソも方便」ということわざから、漠然と「方便とは良いウソのこと」の様に理解している人が多いような気がしています。しかし、それは誤った解釈です。もし「方便」の意味を正しく理解している人であれば、以下を読む必要はありませんので読み飛ばしてください。

まず、「方便」は「ウソ」のことではありません。「方便」=「ウソ」ではありません。
では、「方便」=「真実」かというと、それも違います。「方便」は「ウソ」でも「真実」でも、そのどちらでもありません。

この世にはウソか真実しかないと言う考え方は「貧困なる精神」であると、先のエントリでも書いたとおりです。

私は「方便」のことを理解してもらうために、鳥山明氏著の「Dragon Ball」というマンガの一シーンを引用したいと思います。

強敵に破れてボロボロになった主人公の孫悟空は、強さを手に入れるために「カリン塔」という高い塔に登ったらもらえると言う、飲むだけで強くなれる「超聖水」を飲もうと志します。

カリン塔はとても高い塔で、超人的に強い孫悟空をもってしても登るのに大変苦労します。
しかし、やがて孫悟空は塔のてっぺんまで登り、仙人ならぬ仙猫(せんびょう)の「カリン様」と邂逅します。

カリン様は快く超聖水を飲ませてくれる…かと思うと、なんとカリン様から超聖水の入った壺を奪い取らない限り飲ませないと、ケチくさいことを言い出します。

カリン様はとてもすばしっこく、超人的に強いはずの孫悟空でも容易に壺を奪い取ることができません。
さんざん苦労した揚句、カリン様も驚くほどのスピード(3日)で孫悟空は壺を奪うことに成功します(ちなみに師匠の亀仙人はカリン様から壺を奪うのに3年かかったらしい)。

そして超聖水を飲みました。しかし、どう見てもただの水です。
カリン様は悪びれず「超聖水は最初からただの水」だと明かします。孫悟空は騙されたのでしょうか?

はたして。孫悟空は、既に超人的な強さを手に入れていました。
空気の薄い塔の頂上で、すばしっこいカリン様から壺を奪うために、無駄な動きが減り、結果的にトレーニングとなり驚異的な短期間で強くなったのです。

この話に出てくる「超聖水」が、まさに「方便」だと私は思います。
孫悟空は、最初から「超聖水」がただの水であると知っていたら、これほど短期間でパワーアップを果たせたでしょうか?

ここに至っても「超聖水」は結局「ただの水」だったんだから結局嘘じゃんという人がもしいたら、その人の精神性は何と貧しいことだろうと哀れにさえ思います。「超聖水」が「超聖水」だったがゆえに、孫悟空はパワーアップできたのだと言うことは、まぎれもない事実なのですから・・・。

所詮マンガ、と思う人もいるかもしれません。しかし、国民的人気マンガにまでなったものには、やはり秘められた何かがあります。

このように「表面的なウソ・真実を超越して、人を正しい方向に導く教え」を「方便」と言います。

受験勉強ばかりしてきた人には、思考トレーニングとしてこういう考え方を勉強することをお勧めいたします。
いまどきの人は哲学にはあんまり興味ないのでしょうかね…?
でも、哲学的思考トレーニングをせずに科学を学ぶのは、とても恐ろしいことなんですよ。オウム真理教とかにはまった人はそういう人が多数です。
理系の人ほど、哲学とか宗教を「正しく」勉強しないといけないのです。

オカルトを恐れるがあまりオカルトを忌避したり、中身も理解せず攻撃さえしていればいいと言う考え方は、実はオカルトと大差がないのです。根拠がないものを根拠がないからと根拠なく批判する(根拠がない根拠はない)。これも一種のオカルトではないでしょうか。これを、私は「オウム返し」と名付けたいと思います(ギャグ)。

これは、多分「オカルトにはまるか、オカルトを忌避するか」の2拓でしか物事を考えられない「貧困なる精神」の行きつく一つのトラップなのでしょう。